KTC GROUP50th

父から娘たちへ渡されるバトン。
阿蘇品さん家族はおおぞら高校でつながる

2024.08.21

広域通信制高校「おおぞら高校」で働く阿蘇品伸三さんの次女・百恵さんは、2024年春におおぞら高校を卒業しました。どのような選択を経て、娘は「父が勤務する高校」に入学を決めたのでしょうか。また大学生の長女・美郷さんは、現在おおぞら高校のサポート校でアルバイト勤務をしています。KTCグループと深くつながる阿蘇品さん一家を取材しました。

職員と保護者の立場を兼任 阿蘇品伸三さん(おおぞら高校勤務)

おおぞら高校勤務 阿蘇品伸三さん

―阿蘇品さんの経歴と今のお仕事を教えてください。 
 KTCグループの教育サービス事業に新卒入社して4年勤めた後、おおぞら高校へ部署異動しました。その後屋久島本校で8年勤務しました。当時家族は鹿児島在住だったので、本校勤務中は単身赴任で屋久島に住んでいました。4年前から鹿児島センター長として本校やオンラインスクーリングをサポートしています。現在はそれらの業務に加え、つながる学科(おおぞら高校のオンラインでつながるコース)のプロジェクトリーダーや人材採用、人事育成を担当しています。仲間を増やし、活躍・成長できる環境づくりが主な仕事です。

―次女・百恵さんが2024年春におおぞら高校を卒業しましたが、どのような経緯で入学しましたか?
 百恵は全日制高校からおおぞら高校に転学しました。他校の資料を複数集めていたのを見て「おおぞら高校も選択肢の一つに入れてほしい」と娘に伝えました。「うちの学校で学んだ方が絶対に良い」という強い自信がありました。ただ、父親に言われたから決めるような選択を取らせたくなかったので、あくまで候補の一つとして説明を聞いてもらいました。当時私が「つながる学科」の新規立ち上げと生徒募集を担当し始めた時期でした。
 最終的には百恵本人がおおぞら高校への転学を決めました。自分の人生に後悔してほしくないので、親として沢山の選択肢を子どもたちに与えはしますが、最後は「自分の道は自分で決める」よう伝えています。我が家の教育方針ですね。

―阿蘇品さんからみて、百恵さんの学生生活はどのような印象でしたか?
「嫌だ」みたいなことは一切言わなかったので、楽しんでくれたのではないでしょうか。アルバイトに励みながら、長女の力も借りて自宅学習で一生懸命課題に取り組んでいました。
 屋久島スクーリングも2回行っています。屋久島本校で行われた卒業式(本校開催の卒業式参加は先着希望制)にも参加しました。当日は運営スタッフとして、そして父親として、2つの立場で参加していました。卒業証書授与は茂木健一郎校長が担当されていたのですが、娘の授与の時は私も壇上に呼ばれて、校長と一緒に卒業証書を手渡しました。
 実は他の生徒たちの卒業の喜びと、 娘の卒業の喜びはあまり差はありませんでした。生徒たち全員の旅立ちに大きな感動と喜びがあることが、この仕事の良さだと思っているので。どちらも同じように感激しました。

屋久島本校での卒業式(左:茂木健一郎校長、中央:阿蘇品伸三さん、右:次女百恵さん)

―今春卒業した百恵さんやおおぞら高校卒業生の皆さんへの想いを教えてください。 
 自分自身の描く「なりたい大人」を実現してもらいたいと思っています。年を重ねたときに「後悔しないチャレンジ」をしてくれることが、1番良いのではないでしょうか。「こんな生き方をしてきたよ」とか「この時こうだったよ」みたいな幸せで大切な思い出が、積み重なっていく経験をしてくれるとよいと思います。

―長女の美郷さんは現在、おおぞら高校サポート校でアルバイトをしています。阿蘇品一家でおおぞら高校と関わっていますね。 
 そうなんですよ。大学1年生から約3年間、キャンパスで事務や生徒のサポート業務のアルバイトをしています。美郷は中学や高校の教職課程を履修しているので、おおぞら高校のアルバイトで「たくさんの経験を積めたらいいね」と伝えました。

―KTCグループは「明日へのバトンを、今。」というパーパススローガンを掲げています。阿蘇品さんは今後どのようなバトンを渡していきたいですか。
 今は仲間を”増やすこと”と”活躍できる環境をつくること”が私の命題だと考えています。出会った仲間の成長をサポートしたり、活躍できる環境をKTCグループ全体でつくっていきたいと思っています。「仲間とのつながり」をもっとたくさん作って、バトンとしてつないでいきたいです。

父が働く高校を今春卒業、夢に向かって突き進む 次女・百恵さん

卒業証書を手に両親と記念撮影をする百恵さん(中央)

―父親が働くおおぞら高校へ転学を決めた理由はなんでしたか?当時の想いや考えを教えてください。
 元々は父の学校に行くという選択肢は無く、他の学校の資料を集めていました。父が不満そうな顔をしていたのを覚えています。ただその姿を見たから決めたわけではありません。私も父と同じように「人が好き」という想いがベースにあるんです。残りの高校生生活をどう過ごしていくのかと考えたときに、おおぞら高校なら「一生ものとなる人と人との繋がりのギフト」をくれるのではないかと思い、話を聞くことにしました。
 ちょうど父がつながる学科の生徒募集担当だったので、入学説明は父から受けました。正直最初は良いことだけ言っているのではないかと思ったんですが(笑)、ただ何かあったときに父がいてくれる点は非常に安心感がありました。そして何より楽しそうに仕事をしている姿を見てきたからです。コーチ(おおぞら高校では先生をコーチと呼称)の育成を必死にやってる姿を見て、「父が育てたコーチたちのことをもっと知りたい、実際に会ってみたい」と感じました。父の説明してくれる姿も後押しになり「この学校にしよう」と思い、おおぞら高校での”人と人との繋がり”を選択しました。
 父は本当に多忙な人なんです。出張に行くことも多く、屋久島に単身赴任をしていた時期もあり、なかなか会えない時期もありました。「人生の中でそこまで時間を費やしたい場所ってどういう場所なんだろう」とずっと興味を持っていました。それも選んだ理由のひとつかもしれません。

―屋久島スクーリングに行った際は、父・伸三さんも屋久島本校で仕事中だったと聞きました。職場での父親を見た感想はどうでしたか? 
 屋久島スクーリングは行くまでは乗り気ではなく、必要単位を取りに行くくらいの感情でした。ただ実際に行ったら、今までオンラインでしか会えていなかった友人やコーチたちとつながれて、本当に嬉しかったです。
 担当コーチからは、父の良いところや普段の様子をたくさん教えてもらいました。父はコーチを育成する立場なので厳しく強めの指導をしていると想像していましたが、全然違いました。家族に惜しみない愛をくれているように、コーチたちにも同じように愛を注いでいる姿を目の当たりにしました。率直に「うわ、なんかすごいな」と感じました。一緒に働く仲間たちに対しても家族と同じように接していると分かり、すごく胸を打たれた覚えがあります。誰に対しても愛を持って同じように接し、その人にとって何が良いのかを考えている父親の姿は、家と全く変わりませんでした。

阿蘇品さんご一家(百恵さん:左から2人目)

―希望先着制の屋久島本校での卒業式にも参加しました。参加を希望した理由を教えてください。
 高校2年生のころから、屋久島本校の卒業式に家族で参加したいと思っていました。小学生の妹(三女)が高校生になるまで、父が同じ職場にいるかなんて分からないじゃないですか。私は妹を屋久島に連れていきたい、母も父に会いに行きたい。家族の希望が叶う良い機会だと思っていました。
 卒業式に参加をして、卒業式なんだけど卒業式ではないというか、一つのイベントとして屋久島で家族と過ごせたことが嬉しかったです。貴重なひと時でした。父は卒業式の運営もしていたので、一種の職場体験みたいでした。

―今後百恵さんがやりたいことや夢は何ですか?
 実は高校3年生の5月に上京し、フリーランスでライターや洋服ブランドのデザイン・制作、フォトグラファー、ヘアメイク・スタイリスト等の仕事に挑戦しています。将来は「一つの思い出を共有することによって、誰かに愛を伝えられる」きっかけをつくる会社を起業したいと思っています。今はまだ誰かのサポートをする形でしか成し遂げることができない段階なので、私の仲間を増やす意味でも起業をしたいですね。同じ想いを掲げながらも、遊び心を忘れずに「自分の人生を選択して生き続けられる人」と一緒に生きていきたいと考えています。
 私自身は他人の意見に左右されやすい人間です。自分の意思はあるはずなのに、他者からの見られ方や言葉を気にし過ぎて、自分の道を見失ってしまうことが多かったです。それに気づけた今だからこそ、相手の気持ちを考え過ぎてしまう性格を逆手にとっています。「相手は何をして欲しいのか」「相手のために私ができることは何か」と相手のためを思って前向きに考えられるようになりました。人との繋がりは私にとって大事な軸です。両親が「人」を大切にしている影響だと思います。

―最後に、百恵さんにとって伸三さんはどのような父親ですか? 
 一番恩を返したい、幸せにしてあげたい人です。今までやりたいと言ったことに対して、反対されたり制御されたりしたことはありません。「やりたいならまずはやってごらん」と言われます。ただ私たち姉妹がつまづいてしまったときは、父がたくさんの選択肢を示してくれます。私もそうやって今まで自分の人生の選択をさせてもらってきました。
 私が「どんな大人になりたいですか」と聞かれたら、間違いなく『父のような人になりたい』と言うと思います。本当に惜しみない愛を注いでくれる父親だと感じています。

おおぞら高校でアルバイト勤務中 長女・美郷さん

おおぞら高校サポート校でアルバイトをする長女・美郷さん(取材当時大学3年生)

―おおぞら高校のサポート校でアルバイトを始めたきっかけは何でしたか? 
 大学1年生からアルバイトを始めたのですが、当時のキャンパス長の方から誘われたことがきっかけです。実は父の大学の同級生で、ラグビー部の主将・副主将という間柄でした。私のことも生まれる前から知ってくれている方でした。東京出張にきた父と食事をするときに東京キャンパスで待ち合わせをした際、久しぶりに再会しました。「アルバイトをしてみない?」と誘ってくれたんです。その方に誘われたからこそ、直ぐに「やります」と返事をしました。

―今は教育学部に在籍して教職課程も履修中とお聞きしました。どのように進路決定をしましたか? 
 進路に関しては、父も母も「自分のしたいようにしなさい」という考えだったので、自分が進みたい道を選びました。小学校や中学校で素敵な先生方に出会えたおかげで、元々教師という仕事に憧れを持っていました。他の業界の仕事を考えたこともありましたが、教育現場の方が毎日刺激があって楽しそうだと思い、教育の道を選択しました。
 9月におおぞら高校屋久島本校で開催される「大学生向けの屋久島キャリア教育ワークショップ」に参加をします。教育者として現場で働く父を初めて見ます。とても楽しみです。

左から次女・百恵さん、長女・美郷さん、父・伸三さん

―美郷さんにとって、伸三さんはどのような父親ですか? 
 メリハリのある人だと思います。遊ぶときは全力で遊び、勉強するときはすごい本を読み、仕事している時はすごく集中しています。一つのことに全力で集中して、決してダラダラしない印象です。子どもたちにはあまりあれこれ言ってきませんが、裏ではいろいろなことを考えてくれていると思っています。

―美郷さんはどんな大人になりたいですか?
 何事も楽しめる大人です。どんなことでもポジティブに捉えて、楽しめる大人になりたいです。中学生の頃は、苦しいことやきついことも自分のためになると思ってやることができていました。大変だったけど、一生懸命で楽しかった記憶があります。楽をすることを知ってしまったからこそ、「苦しいことを苦しいと思わず、楽しめる大人」になりたいです。

今回は阿蘇品さん一家を取材しました。おおぞら高校を基軸として、父・娘それぞれの想いがバトンとしてつながっていました。未来ある姉妹たちは両親からの大きな愛を受けて、今後どのようなバトンを紡いでいくのでしょうか。KTCグループをとおしてさらなるご活躍をされることを祈っています。

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